熊本県では最恐心霊スポットとして恐れられている田原坂では、どんな心霊現象が起きているのでしょうか。そして、田原坂が心霊スポットとなってしまた原因と言われる西南戦争では、何があったのか。西南戦争の歴史の中から、心霊スポット田原坂について紐解いていきます。
「田原坂」は熊本で最恐と言われる心霊スポット
熊本県の桜の名所としても知られる田原坂は、熊本県有数の心霊スポットとしても知られてます。歴史の中でも避けて通ることができない西南戦争が関係している地として、歴史を辿る観光スポットとしても人気があります。
心霊スポットとして恐れられている田原坂がどのような場所なのか、西南戦争が現在の心霊スポットとしての田原坂にどのように関わってくるのか。熊本県の歴史を紐解いていき、心霊スポットと知られる田原坂に迫っていきます。
テレビで紹介されるほど有名!
心霊好きの方などでは、田原坂の名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?全国的な心霊スポットとして田原坂は有名なのですが、実はテレビでも取り上げられたことがあります。心霊検証なども行われたことがある場所です。
現在でも心霊系YouTuberなどが足を運ぶことが多い場所になり、心霊好きに留まらずに認知されさらに有名な心霊スポットとなりました。当記事では、過去に噂されている心霊現象についても紹介していくので、ゾクゾク感を楽しんでみてください。
「田原坂」の歴史と概要について
心霊スポットとして知られる田原坂ですが、どんな歴史があった場所なのかを知っていますか?心霊スポットとしての田原坂を語る上では、西南戦争が起こってしまった歴史に触れていかなくてはいけません。
かつて激しい戦いが行われた西南戦争、まずは田原坂の概要とともに歴史について触れていきます。心霊スポットとしてだけではなく、観光スポットとして田原坂に足を運ぶときにもポイントとなる内容になるので田原坂の歴史を振り返っていきましょう。
西南戦争最大の激戦地
1877年に起こった西南戦争。西郷隆盛を盟主として起こった武力反乱で、熊本県に大分県、宮崎県、鹿児島県と広範囲が戦いの場となりました。そんな中でも、一番激しい戦いが行われたのが、熊本県の田原坂となります。
薩軍が約14000人に対して鎮台軍約は4000人の中で広げられた西南戦争は、熊本城強襲から始まり木場の戦いや高瀬の戦いなどを経て田原坂の戦いへと舞台が変わります。当初の征討軍本営は田原坂と吉次峠の当時突破をしようとしていたが、田原峠の戦いに絞りました。
そのことから、田原峠は西南戦争の中でも激戦地へと姿を変えて行ったそうです。日本の歴史の中でも有名な西南戦争に触れることができる場所としても人気があります。
西南戦争は国内最後の内戦
日本で起こった内戦といえば、日本史上最大の内戦と呼ばれる戊辰戦争が浮かぶ人も多いでしょう。日本国内では過去に、さまざまな内戦が行われた歴史があるのですが、その中でも国内で最後の内戦と言われているのが西南戦争になります。
西郷隆盛の暗殺計画など西南戦争は一言で言い表すことができないですが、戦いの場が各地で移動しながら行われていた西南戦争は、その範囲からも規模の大きさを見てとることができるのではないでしょうか。
田原坂の戦いとは?
西南戦争最大の激戦地となる田原坂の戦いですが、なぜ戦場が田原坂になったのかを知っていますか。明治時代の内戦になるので、当時はもう鉄砲や大砲を用いた戦いが行われていました。そんな中で博多から熊本への道として田原坂が使用されたそうです。
当時、大砲を引いて博多から熊本へ通れる道がなかったとされてます。また、防御側にとっても田原坂の地形は適していたとされてます。そして、先述した吉次峠での攻略を止めて征討軍本営が田原坂攻略に的を絞ったことで田原坂の戦いは激戦地となったそうです。
そして、田原坂の戦いが行われたのは17日間にも及びます。その中の6日間が雨だったことから火薬銃が使えず薩軍は抜刀攻撃を行ったと言われてます。
犠牲者は1万4千人以上!
熾烈の戦いは17日間繰り返されたのですが、有名な抜刀隊に火薬銃、大砲など色々な武器が使われました。西南戦争で命を落としてしまった犠牲者は1万4千人を超えると言われてます。
西南戦争の犠牲者数は、かつて行われた戊辰戦争にも匹敵する犠牲者数とされています。最終的には西郷隆盛をはじめとして幹部に当たる人たちは城山で自決をしました。それによって終結を迎えるのですが、大義なき戦争とも呼ばれる中で、犠牲者数は多かったのです。
現在は公園と資料館になっている
激戦が繰り広げられた田原坂になりますが、現在は田原坂公園となっています。春には桜やツツジの花が咲く公園として親しまれています。公園といっても子供が遊べる遊具などがあるわけではありませんが、桜の名所となっているので花見客で賑わいを見せています。
田原坂公園内には、激戦の痕が残る弾痕の家が復元や資料館があり、西南戦争を知ることができる公園となっています。復元とはいえ、当時の戦いの激しさを感じることができると言えるでしょう。ゆっくりと田原坂公園内を散策しながら楽しむのがおすすめです。
田原坂公園にあるのが、西南戦争の歴史を楽しめる資料館。当時の大砲などは実物台の模型として展示されていて見所がある資料館になってます。時代背景も見ることができ、西南戦争に詳しくなくても資料館は楽しむことができるでしょう。
資料館に展示されているのは約150点以上となり、映像なども見ることができます。そんな田原坂公園の資料館は、9時から17時までしか利用できません。資料館の入場料は、高校生以上が300円で小中学生が100円となってます。
まだ資料館を見たことがないという方も、観光で熊本県に訪れた方も一度足を運んでみてください。日本の歴史の一部を垣間見ることができるでしょう。
公園内には戦没者慰霊碑がある
田原坂公園には慰霊碑もあり、西南戦争で命を落とした人たちを供養しています。先述した多くの犠牲者を出した西南戦争から80年経つ1957年に建てられた慰霊碑は、田原坂公園内でも一際目立つ存在となっています。
多くの犠牲者たちの名前も刻まれている慰霊碑ですが、薩軍だけではなく官軍の供養の意味もある慰霊碑になります。天に向かって伸びる慰霊碑、資料館を見た後ならば余計に背景を感じることができるでしょう。
心霊スポットとしても知られる田原坂ですが、慰霊碑が建てられても心霊現象が囁かれています。犠牲者が多すぎたのか、立派な慰霊碑でも供養することができないのかは定かではありません。
多くの犠牲者が存在する西南戦争の慰霊碑なので、供養の気持ちを持って見学するのがおすすめ。また、慰霊碑が建てられている場所は、田原坂公園内でも見晴らしがいい場所になります。慰霊碑を見学する時は、見晴らしも一緒に楽しんでみてください。
「田原坂」が最恐の心霊スポットの理由!
西南戦争について紹介してきましたが、慰霊碑や資料館など田原坂公園そのものは観光を楽しむことができる場所となっています。そんな田原坂には、心霊現象の噂が後を絶たない有名な心霊スポットとしての顔を持っています。
田原坂で心霊現象が起こる原因として語られているのが、先述した西南戦争になります。そこで、西南戦争から見えてくる田原坂の心霊現象の理由について紹介していきます。
官軍墓地があり戦死者を埋葬
多くの犠牲者が出た田原坂の戦いですが、その時の官軍の犠牲者が埋葬されている官軍墓地があります。田原坂の中でも一番ヤバイと言われている場所で、心霊現象の噂が囁かれている一番の場所と言えるでしょう。
緑多い場所に並ぶ官軍墓地の墓標には、氏名や戦死を遂げてしまった場所、出身地などが刻まれています。日中でも空気が冷たく感じるとも言われているので、夜には何が起きてもおかしくないでしょう。そして、この墓地が、心霊現象の理由として語られてます。
300人以上が埋葬されている
官軍墓地に埋葬されているのは300人以上になり、田原坂の戦いはその激しさ故に死してなお戦いを繰り返していると言われてます。どんな思いを抱いていたのかは本人にしかわからないことですが、その無念さは感じることができるのではないでしょうか。
田原坂の官軍墓地の300人以上の墓標が立ち並ぶこの場所から、現在でも田原坂の戦いを繰り返しているのかもしれません。
多くの若い兵士も戦死
西南戦争の犠牲者となった人には、若くして命を落としてしまった人もたくさんいます。先述した田原坂公園の中にある慰霊碑の後ろには戦死してしまった人たちの名前が刻まれているのですが、その大半が若くして戦死してしまった人と言われてます。
この世への未練や敵への恨み
若くして命を落としてしまった人たちだけではなく、戦という場なので敵への恨みが強く残っていたのではと言われてます。若さ故の未練も残っているかもしれません。田原坂が心霊スポットと言われているのは、その無念の思いがあるからかもしれません。
この世に対する未練は、内戦という戦の場だったからこそ強く残ってしまっているとも言われてます。その思いが強いからこそ、現代でも目撃談などが後を絶たないのでしょう。
関係のない村人も殺された
西南戦争では戦死した人たちだけが犠牲者ではありません。当時の田原坂の戦いにおいて村人にも殺されてしまった人が多くいました。軍夫や食糧を現地で調達していたのですが、その場では流れ弾などで命を落としてしまう村人もいます。
他にも、関係がない村人も殺されたそうです。敵として殺されてしまったのか、村人とわかっていて殺されてしまったのかは定かではありません。慰霊碑の氏名の中にが、そんな殉難者29人の名前も刻まれているそうです。
無縁仏も多く成仏できていない
村人の中には無縁仏も多かったそうです。戦に関係のなかった村人たちは、戦死してしまった人よりもこの世に未練があるでしょう。中には幼き子供もいたとされてますので、その無念さは計り知れないです。
田原坂の心霊現象には、そんな無縁仏の怨念も関係しているとされてます。その恨みは、自分を殺した人に向いているのか、はたまた生きている人への羨ましさになるのか、どちらでも成仏することができない思いと言えるのではないでしょうか。
「田原坂」の心霊現象とは?
さて、ここからは実際に起こったと言われている田原坂の心霊現象について触れていきます。最恐の心霊スポットと言われている田原坂には、どんな心霊現象が起こっているのでしょうか。実際に同じ体験をしたという心霊現象は多く報告されてます。
当記事では、その中でも体験者が多い心霊現象を5つ紹介していきます。日中でも不気味さを感じる静粛さがある場所などがあるので、夜に足を運んでみたら体験することになってしまうかもしれません。では、順番に見ていきましょう。
心霊現象①馬に乗った若い少年が追いかけてくる
西南戦争に駆り出されたのは、率先して参加をした人だけではありません。中には、戦争に参加したくなかった人もいたでしょう。そんな西南戦争に携わった人の中には青少年もいたと言われてます。
現在の田原坂公園には銅像も飾られているので光景を思い描く事ができるでしょう。そんな青少年の中にも無惨な死を遂げてしまった人たちがいました。その霊ではないかと言われていて、深夜に馬に乗った少年に追いかけられたという体験談があります。
中には、駆け抜けていくのを見ただけの人もいます。現在でもまだ、戦の場へと向かっているのかもしれません。
心霊現象②戦う剣の音が聞こえた
田原坂の戦いでは、6日間の雨によって火薬銃が使えずに抜刀隊によって戦が行われた場所でもあります。その時の刀の音とも言われている殺陣の音を聞いたと言う人も多いです。こちらは、遠くで聞こえたと言う人もいれば近くで聞こえたと言う人もいます。
また、殺陣の音だけではなく話し声を聞いたと言う体験談もあります。明治初期の西南戦争が終結したことがわからずに現在も戦い続けているのかもしれません。
心霊現象③電話ボックスに女性の霊がいた
田原坂でも有名なのが電話ボックスになりますが、電話ボックスで囁かれている心霊現象は複数あります。その一つが、電話ボックスに現れる女性の霊になります。電話ボックスの中に女性がいたと言う目撃談の数はとても多く、田原坂の中でも有名な心霊現象になります。
この電話ボックスの女性の霊ですが、実は西南戦争には関わりがないと言われてます。特に事件があったなどの情報がないため、なぜ電話ボックスに女性の霊が出るようになったのかは不明と言われてます。
深夜の電話ボックスでも不気味なのですが、現在は電話ボックスは撤去され無くなってます。その結果、女性の心霊現象は起きなくなったそうです。
兵隊に囲まれてしまう
電話ボックスは女性の霊が目撃される前にも、心霊現象が報告されていました。それは、電話ボックスを利用すると兵隊に囲まれてしまうと言う内容です。一説によると、電話ボックスの中から電話をかけると兵隊に囲まれるとされてます。
ですが、電話ボックスに入るだけでも兵隊に囲まれてしまうとも言われてます。先述したように、電話ボックス自体が撤去された現在では、その事実を検証することも不可能になっています。また、その後に現れる女性の霊とも関わりがあったのかも不明です。
心霊現象④人のうめき声や泣き声がした
西南戦争で亡くなった人たちは、全員が即死だったわけではありません。苦しんで死んでいった人もいたでしょう。先述したように関係のなかった村人は、特に苦しんで死んでしまった人が多かったのではないでしょうか。
そんな人たちの呻き声やすすり泣く泣き声を聞いたという体験談も多いです。深夜に体験する人が多いのですが、一説には木々の音を聞き間違えたのではとも囁かれています。
ですが、体験する人の多さから心霊現象とされています。非業の死を遂げてしまった人たちは成仏できずに、最後の瞬間を繰り返しているのかもしれません。
心霊現象⑤大勢の生首を見た
最後の田原坂の心霊現象は、生首の目撃談です。兵士や村人の怨念が渦巻く場所と言われている田原坂では、大勢の生首を見たと言う体験談も報告されてます。見る場所はさまざまと言われていて、墓地で目撃したと言う話から藪の中に見たと言う人もいるそうです。
この世への未練が、現在生きている人に向けられていると言う解釈もされているようです。田原坂で視線を感じるときには、藪の中などから見られているのかもしれません。
「田原坂」のアクセス&駐車場情報
昔から心霊現象が絶えず、現在も目撃談などが囁かれている田原坂。日中は観光スポットの一つとして楽しむことができるのでおすすめの場所でもあります。そんな田原坂へのアクセス情報について紹介していきます。駐車場情報も紹介するので役立ててください。
アクセス情報
田原坂へのアクセス方法になりますが、徒歩で向かう場合には最寄り駅の田原坂駅に向かいましょう。そこから、少し距離がありますが徒歩で約35分ほどになります。近くまで行くバスなどはないので、駅からは歩くかタクシーを利用するのがおすすめ。
そして、車で向かう場合ですが熊本駅からで約40分ほどの距離になります。植木ICを利用してアクセスする場合には国道3号線と国道208号線を利用すると約15分ほどとなっています。
駐車場は?
田原坂の駐車場になりますが、こちらは観光スポットとして人気がある場所なので完備されてます。駐車場は無料で利用することができるので、利用して西南戦争の歴史を楽しんでみてください。
また、駐車場は約220台は停めることができる場所になっています。春の桜やツツジのシーズンには混雑することもありますので注意するようにしましょう。
「田原坂」の基本情報
名称 | 田原坂公園 |
住所 | 熊本市北区植木町豊岡858-1 |
電話番号 | 096-272-4982 |
資料館料金 | 高校生以上 300円 小・中学生 100円 |
営業時間 | 公園 24時間 資料館 9時〜17時 |
定休日 | 資料館 年末年始 |
アクセス | 桜町バスターミナルから車で約35分 JR熊本駅から車で約40分 植木ICから車で約15分 田原坂駅から徒歩で約35分 |
駐車場 | 有(220台) |
「田原坂」は悲惨な歴史を忘れない場所
日本が歩んできた歴史の中で、内戦などの戦があったから今があるのかもしれません。ですが、それ故に無くなってしまった人たちもたくさんいます。西南戦争は、日本最後の内戦としてこれからも語り継がれていくでしょう。
そして、その西南戦争の悲惨さや激しさを感じることができる田原坂。心霊スポットとしてだけではなく、歴史を辿ることができる観光スポットとして楽しんでみてください。


